書名 良寛全句集 |
著者名:谷川敏朗 |
出版社:春秋社 |
良寛全句集 谷川敏朗 良寛の俳句の世界 僧侶である良寛の詩歌には、人間的な暖かい感情があふれている。そこで良寛の詩歌は、「説教でない説教」などと言われる。良寛の漢詩には、人生観や社会観が如実に示されている。そういう点で、日本の漢詩人の中では、最高の位置にあり、並び立つ人はいない。 和歌においては、人間への鋭い洞察力によって、ゆるみない情感を表出してやまない。短歌もさることながら、数多く詠まれている長歌のすばらしさは、万葉歌人の柿本人麻呂に匹敵する。じつに希有の詩人であった。 それに対し、良寛の俳句はわずかに一〇七句しか残っていない。そこで評価も大きく別れてしまう。しかし何といっても、良寛の俳句は実感であることが尊い。そして人間的な温かみがある。さらに親しみ深い点が、大きな特徴であろう。根本は、良寛が温かい血の通っている人間であったことである。 またその俳句は、平明である。平明だから共感を呼びやすい。そして素直である。そこには、まやかしがない。人間的な醜さがないのである。どの俳句を取りあげても、快く口ずさめるものばかりである。 江戸期の庶民たちは、和歌より俳諧を好んだ。しかし良寛は、俳諧の座に一度も参加しなかったようである。それは、当時の俳諧の世界が、堕落していたからだろうか。そこには金銭、名誉、地位といった欲望がうずまいていた。そうした世界を、良寛は意識的に避けていたのだろう。そして、何の束縛も受けず、思いのまま文芸の創作に没頭していた。その自由さもまた、尊いとすべきである。 良寛の一族は、父以南が「北越蕉風の棟梁」とか「出雲崎俳壇中興の祖」と言われたが、それ以後俳人は出なかった。しかし良寛と同じような和歌を作る人たちを輩出した。良寛の影響だったのだろうか。 そうは言っても、良寛の詠んだ俳句は、いつまでもぬくもりを伝えて、われわれに大きな魅力を示しているのである。 新年 のっぺりと師走も知らず今朝の春 よそはでも顔は白いぞ嫁が君 春雨や門松の〆ゆるみけり 春 春雨や静になづる破れふくべ (やれ) 春雨や友を訪ぬる想ひあり ○水の面にあや織りみだる春の雨 (も) いでわれも今日はまぢらむ春の山 「分け入ること」 新池や蛙とびこむ音もなし (あらいけ) 夢覚て聞ば蛙の遠音哉 (さめ) 山里は蛙の声となりにけり 今日来ずば明日は散りなむ梅の花 ○青みたるなかに辛夷の花ざかり (こぶし) 雪しろのかかる芝生のつくづくし 雪しろの寄する古野のつくづくし (よ) 雪汁や古野にかかるつくづくし 鶯に夢さまされし朝げかな 鶯や百人ながら気がつかず 梅が香の朝日に匂へ夕桜 ○世の中は桜の花になりにけり 山は花酒屋酒屋の杉ばやし
須磨寺の昔を問へば山桜 この宮や辛夷の花に散る桜
夏 誰れ聞けと真菰が原のぎやぎやし (まこも) 真昼中真菰が原のぎやぎやし (まひるなか) 人の皆ねぶたき時のぎようぎようし かきつばた我れこの亭に酔ひにけり (てい) 真昼中ほろりほろりと芥子の花 鍋みがく音にまぎるる雨蛙 夏の夜やのみを数へて明かしけり 風鈴や竹を去事三四尺 (さること)
鳰の巣のところがへする五月雨 (にお)(さつきさ(あ)め)
青嵐吸物は白牡丹 (はくぼうたん) 凌霄花に小鳥のとまる門垣に (のうぜんか) 酔臥の宿はここか蓮の花 (よいぶし)(やどり) わが宿へ連れて行きたし蓮に鳥 雷をおそれぬ者はおろかなり ○鉄鉢に明日の米あり夕涼 (てつぱつ) 手もたゆくあふぐ扇の置きどころ ○昼顔やどちらの露の情やら 留主の戸に独り寂しき散り松葉 秋 いざさらば暑さを忘れ盆踊 手ぬぐひで年をかくすやぼむおどり 萩すすき露のぼるま(で)眺めばや 萩すすきわが行道のしるべせよ 雨の日や昔を語んやれふくべ 「こわれた瓢箪」 顔回がうちものゆかし瓢哉 (ふくべ) ○我が恋はふくべで泥鰌をおすごとし (どじょう) ○秋風のさはぐ夕となりにけり (ゆうべ) ○秋風に独り立たる姿かな ○摩頂して独り立ちけり秋の風 (まちょう)「頭をなでること」 屋根引の金玉しぼむ秋の風 柿もぎの金玉寒し秋の風 ○秋高し木立は古りぬ籬かな (まがき) 秋は高し木立はふりぬこの館 二人して筆をとりあふ秋の宵 宵闇やせむざいはただ虫の声 稲舟をさし行方や三日の月 (ゆくかた)(みか)
綿は白しこなたは赤し鶏頭花
手を振て泳いでゆくや鰯売り いく群れか泳いで行くや鰯売り 息せきと升りて来るや鰯売り (のぼ) 蘇迷盧の訪れ告げよ夜の雁 (そめいろ) ○われ喚て故郷へ行や夜の雁 (よび) ○君来ませいが栗落道よけて (おちし) ○盗人にとり残されし窓の月 つっくりと独立けり秋の庵 (ひとりたち)
柴の戸に露のたまりや今朝の秋 いくつれか鷺の飛びゆく秋の暮れ
紅葉葉の錦の秋や唐衣 松黒く紅葉明るき夕べかな
冬
初時雨名もなき山のおもしろき 柴焼て時雨聞夜となりにけり (しばたいて) 日々日々に時雨の降ば人老ぬ (ふれ) 山しぐれ酒やの蔵に波深し 木枯を馬上ににらむ男かな (こがらし) 冬川や峰より鷲のにらみけり
火もらひに橋越行さむさかな (はしこえてゆく) 柴垣に小鳥集まる雪の朝 ○疑ふな六出の花も法の色 (むつで)「雪のこと」
をぢが身は寒に埋雪の竹 (をぢ)「老翁」(うずむ)
人の来てまたも頭巾を脱がせけり のっぽりと師走も知らず弥彦山 無季 よしや寝む須磨の浦はの波枕 黄金もていざ杖買わんさみつ坂 つとにせむ吉野の里の花がたみ (つと)「土産の品物」 落ちつけばここも廬山のよるの雨
この人の背中に踊りできるなり 雨の降る日はあはれなり良寛坊 うら畑埴生の垣の破れから (はたけはにう)
幾重ある菩提の花を数へみよ 可惜虚空に馬を放ちけり (おしむべき) ○来ては打ち行きては叩く夜もすがら 「髑髏の讃」
春秋社「良寛全句集」谷川敏朗著より |
良寛様の全句集が出たというので、急いでこれを求めた。生涯の詠まれた句が百句を少し越えられたとの事であまりに少ないのに驚いた。それは、同じ谷川先生の良寛全歌集に千三百五十の和歌を拝読し、且つ又、飯田利行先生の良寛詩集譯を東京神田書店街で見つけて、宝玉の詩を拝し、中にも、時空観照(現実を条件なしに受用する相)の、 我が生 何処より来り 去りて 何処にかゆく。 ひとり蓬さうの下に座し ごつごつとして静かに尋思す。 尋思するも 始めを知らず いずくんぞ能く その終りを知らん。 現在もまた 復しかり 展転しても すべてこれ空。 空中にこそ 我れあり 況んや是と非とあらんや。 些子を容るゝを知らず 縁に随って まさに従容たり。 をは座右の銘として、わが机上にあり。 俳句は漢詩の如く激しさはないが、 散桜 残る桜も 散る桜 と、静かに人間の運命を暗示し、教えて下さっておられる。一句づつ、一句づつ、良寛様の心の深さ、重々しい精神性、道徳の高さが感じられる。 |